農業は生きた教科書

 


何ゆえ最近農業が注目される様になったのか?


バブル崩壊後約25年、徐々に経済が下り坂になり、目下、暗闇の中から一筋の光を探して模索している中、テレビ番組ではよく農業がとりだたされている。


特に、バブルや高度経済成長期を味わったことの無い若者はこれから景気が良くなるという兆しを世の中から感じ取ることが無縁な社会の中で生きている。希望をどう持てば良いのかすらわからない。その光が農業にはあるのだろうか?


私たちは農業をしている中ではっきりとわかることがある。


それは、農業は儲からないが、人が人間らしく生きることを教えてくれる自然の教科書だと。


日が昇り、朝が来る。暑くなるまでに一仕事済ませる。時には一日中、重たい荷物を持ったり、腰を曲げてのつらい作業もある。当たり前だが、夏は暑く、冬は寒い。日が暮れると神が合図したのか、もうその辺で今日は終わりやなーと言っているかの様に、外での仕事が終わる。つらく、大変な時でも、容赦なく成長していく木々。自然は待ってくれない。闘おうとすれば、容赦なく、襲ってくる。お互いを認めあって共存していかなければいけない。災害や苗の病気は認め、直ちに次の解決策を打たなければなめられる。自然は絶えず私たちを試している。


不足を言っても仕方がない、相手は神様が作られたサムシンググレート、何か偉大なものなのだから…


怒る気にもなれず、ただ自分に与えられた駒を試しながら、額に汗をかく。時折、その報酬に、素敵な贈り物がやってくる。それが、収穫そしてお金。しかしながら、自分の力以上には与えてくれず、また、頑張れと言い残して残骸整理を置き土産に去っていく。


サラリーマンのように定期的に口座にお金が振り込まれる事もないが、人間関係で早々揉めることもない。全ては自分に返ってくる。良いも悪いも…家族やそこで働いている人は私の大事な人。敵も見方もなく、皆が協力してくれなければ歯車は回って行かない。大もうけなんてとんでもない、生きていくだけで精一杯。当たり前のことを、ただするだけ。サボれば数日後 数ヵ月後に結果が出てくる。後悔してももう遅い。ただ、やり直すことは出来る。毎年、チャレンジ出来る。でも明日は今日と同じ日にはならない。成長した私たちを又神が試しにやってくる。だから、面白いのかも…