父の日によせて・・・石川啄木、ニーチェの言葉

 石川啄木
友がみな我よりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ
 『一握の砂』

背景

石川啄木24歳の歌です。このころの啄木は、東京の新聞社の校正係として働いていました。しかし中学時代の友人たちは、進学学校を卒業し、輝かしい出世コースを歩んでいました。金田一京助もその一人で、東京の大学の助手となり、野村胡堂も大学を中退したものの新聞記者としての職を得ます。こうした友人・知人の様々な活躍の噂を聞くたびに、啄木は志を得ない自分の境遇を悲しく思いました。そして花を買ってきて妻と親しみ、淋しさを紛らわすのでした。

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目標にとらわれすぎて人生を失うな

山登りをする。たゆまず、獣のように。汗にまみれ、一心不乱に頂上を目指す。途中にいくつもの美しい眺望があるのに、ただ次の高みへと登っていくことしか知らない。あるいはまた、旅行であってもいつもの仕事であっても、一つの事柄だけに耽って他は忘れてしまう。そういう愚かなことが、しばしばなされている。
たとえば仕事の場合では、売り上げを伸ばすことだけがたった一つのなすべき目的のように錯覚してしまったりする。しかしそうすることで、仕事することの意味は失われてしまう。
けれども、このような愚かな行為はいつもくり返されている。心の余裕をなくし、合理的に行動することを重要とみなし、その観点からのみ人間的な事柄までをも無駄とみなして、結局は自分の人生そのものを失ってしまうようなことが頻繁に起きているのだ。
  「超訳 ニーチェの言葉」      白取春彦 ディスカヴァー
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石川啄木の歌を読むと、昔も今と同じで、焦りやストレスがあり、花で精神的な安定を得ようとしていることが、分かります。
お歳を召された方やストレスを抱えている方がお花を育てる。こうすることによって、癒され、生きる力や自立を見出すことがあります。
これを”園芸療法”といいます。私も花や土に触れるとなんだかホッとして、気持ちがすごく落ち着くんです。
頑張っているお父さん、お母さん、今日は一日、ゆったり振り返ってみるのもいいですね。玄関、テーブルの上に家族みんなのリフレッシュの為、お花を飾ってみたり、庭仕事をしてもいいかもしれません・・・